哲学探究 - ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

哲学探究 ルートヴィヒ ウィトゲンシュタイン

Add: begyju88 - Date: 2020-11-19 23:11:19 - Views: 6369 - Clicks: 283

ウィトゲンシュタイン『哲学的探求』 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著 ; 黒崎宏訳・解説 産業図書, 1994. 以上、『探究』のポイントを確認してきた。最後に要点をまとめてみよう。 本書でヴィトゲンシュタインは、『論考』の写像説のかわりに、振る舞い一致図式を示している。『論考』では、論理形式の同型性が一致を支えているとされていたのに対し、『探究』では、経験の同型性が言語ゲームにおける一致を支えているとされる。 経験が厳密に一致することはない。それぞれの言語ゲームに応じて、経験は異なったものとなるからだ。だが、しかし、生活形式を共有しており、振る舞いの一致が見られるなら、そこに共通の理解が成立していると言っていいはずである。そのようにヴィトゲンシュタインは考えるのだ。. ウィトゲンシュタインは、「それを話す人にしか理解できない、その人の私秘的感覚を指す言葉」である「私的言語」の可能性に反対していて、『哲学探究』(以下『探究』と略す)において「カブトムシの箱(Beetle in the box)」という哲学的論考を行って. 思想・哲学. 事態は「名辞」から構成される「要素命題」に対応する 4.

. ウィトゲンシュタイン/ヴィトゲンシュタイン:Ludwig Josef Johann Wittgenstein,と文化人類学の関係について説明. ウィトゲンシュタインは、自らの著作『哲学探究』の中で、「 私的言語論 」という哲学的主張をしています。 私的言語とは、感覚や感情などの本人にしか理解できないものを表した言語です。. 知恵蔵 - 言語ゲームの用語解説 - 言語哲学者ウィトゲンシュタインの用語。彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、もろもろの活動に織り合わされたものとして考察した。このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』〈. .

(元は1200円) 退廃的ウィーン世紀末文化のなかでのウィトゲンシュタイン哲学の定位。当時のウィーン建築との比較が重要というブクマコメントの指摘により追加。確かに。 ちなみに、モダニズム建築との比較では、ル・コルビュジェのサヴォア邸が1930年に完成する。ストロンボウ邸は1928年完成。コルビュジェの建築は、当時の絵画の影響が見られる。ウィトゲンシュタインの建築は、ウィトゲンシュタインの影響しか見られない。 著作として、 生前刊行した著作。前期の哲学。 後期の哲学。ダイヤの原石のような言葉が溢れている。 ざらざらした人生を生きているだろうか。 入門書として、 評価の高い入門書。アマゾンのレビューを見ているだけで面白い。ウィトゲンシュタインへのレビュアーの思い入れが伝わってくる。 近年発表された草稿類も参照して書かれた内容。ウィトゲンシュタインのメモや草稿、考察など、思考の展開や発展が解説されていて分りやすい。そのことにより前期と後期の連続性も納得。「言語」と「生」をウィトゲンシュタインの二大テーマとし、「生をめぐる思考」に独立した章があてられている。 論考の入門書。コアな部分。 ウィトゲンシュタインなので、コメントも難しく、ただ並べるだけになってしまった。理由としては、理解することを切望するものの、多くは理解できなかったということである。 その他として、 超訳シリーズ。今風の編集によるウィトゲンシュタイン。アマゾンレビューは炎上中。ウィトゲンシュタインの生に関する言葉は、一貫して、強い力があるので、こうした本ができることは理解できる。レビューの中に、自己啓発的にウィトゲンシュタインの言葉を使うべきではないという意見があり、考えさせられる。一方で、ウィトゲンシュタインは、「生の思想」を通してでも、もっと広く知られるべきではないかという気はする。さすがにこの編集は極端だけど。. テツガクテキ タンキュウ ドッカイ. 1 第1部 読解 第2部 読解. ウィトゲンシュタインの建築は、誰もが衝撃を受けるものの、適切な評価ができなかったため、評価が確立することはなかったと言える。突出した天才に良くあることだ。それに、ストロンボウ邸が建てられた1920年代には、ミニマリズムという言葉もなかった。 ストロンボウ邸をヒントに、ウィトゲンシュタインはミニマリストかという問いに基づいて、ミニマリズムのLess is moreの原理と対比して考えてみる。 lessは無駄を削ぎ落とすということだから、ウィトゲンシュタインの建築や思想のイメージにあいそうである。moreはどうだろうか。豊かということである。 ウィトゲンシュタインは、厳密な哲学者のイメージとして一般に理解されているが、意外なほど、幸せとか、幸福な人生に言及している。志向的には、moreの領域にあてはまるのではないかと思う。そうした言葉の引用。 この言葉は、極端に解釈すると、幸福は不幸とは関係ないと言ってようだ。究極の生きる意志を感じる。 ウィトゲンシュタインにとっては、言語と論理を突き詰めることが、(幸せに)生きることであったようなイメージを漠然と抱いていた。限界を歩くことで、ようやく生きることを実感できるような。世界は、誤謬や欺瞞が蔓延るいい加減な牢獄なように見えたのかも知れない。これでは発狂してしまう。ストロンボウ邸のような、言語と論理が純粋に支配する厳格な建築。世界を突き詰めて生きるしかない。 ストロンボウ邸においては、ウィトゲンシュタインの哲学と建築が非妥協的に一致している。姉であるストロンボウ夫人が、ウィトゲンシュタインに設計を頼んだのは、戦争後、患っていた神経症の治療のためであったという。 Less is More 世界の突き詰め is 幸せに生きること ミニマリストという言葉を聞いて、僕の頭の中でこのように重なった訳である。だから絶対究極のミニマリスト。あてずっぽうの形容というよりも、ウィトゲンシュタインを理解するために引いた補助線のようなものだったかも知れない。だが、ウィトゲンシュタインに対する長年のモヤモヤした想いは、一旦リリースできるだろう。 「ウィトゲンシュタイン 幸福」で検索すると、この内容で書かれたブログがたくさんあった。グーグルがしっかり機能している! ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著 ; 黒崎宏訳・解説. See full list on archipelago. 【ミニマリズムの歴史】 「美術・建築・音楽などの分野で、形態や色彩を最小限度まで突き詰めようとした一連の態度」をミニマリズムと呼ぶ。ミニマリズムの原理に基づくミニマル・アートは、アクションペインティング等への反動から、アメリカで60年代から展開された。ミニマルは形容詞。ミニマリズムを実践する人がミニマリスト。 ミニマル・アート - Wikipedia ミニマリズムの考え方を表すものとして、建築家のミース・ファン・デル・ローエの「Less is more(少ないほど、で豊かである)」*1という言葉が良く例示される。 ミニマリズムデザイン全般の歴史について書かれたページ。このページでは、ミニマリズムのデザインは、ヴィジュアルではなく、原理であると指摘されている。 5分でわかるミニマリストデザインの歴史と実践ガイド | SEO Japan 【リーマンショック後のライフスタイル系ミニマリスト】 90年代でもミニマリズムやミニマルは、一般に使われる言葉ではあったが、ミニマリストという言葉はあまり記憶にない。当時使われるミニマリストは、社会学とか言語論で使われる学術用語だったと思う。 ミニマリストとは - コトバンク 他にも、チョムスキーが『ミニマリスト・プログラム』という本を書いている。 年現在使われているミニマリストは、極限まで物を持たないシンプル主義者として、新たに定義されたような感じだ。では、今のミニマリストはいつ頃から使われるようになったのであろうか。 調べると、新しいミニマリストという言葉は、年頃から海外のサイトで使われ出したようだ。年がリーマンショックだから、年には僕も強制的にミニマリストになっていた。リーマンショック後、お金とのズブズブ関係を見直したことに関係がありそうだ。もう少し調べてみると、ザ・ミニマリスツ(The Minimalists)という提唱者ユニットがアメリカにいることが分った。僕が知らなかっただけで、かなり有名なようだ。 『minimalism 〜30歳からはじめるミニマル・ライフ』 ザ・ミニマリスツのwikiページを見ると、今に至る、ミニマリストの流れが分る。 The Minimalists - Wikipedia, the free encyclopedia 彼らのウェブサイト。このウェブサイトの立ち上げ. 事実の論理上の像が、思想(思惟されているもの、思考対象、思想内容)である。(事実/思想がパラレル。事態と思想ではない) 4.

最も単純な言語ゲームとして、ヴィトゲンシュタインは次のような例を示す。 家を組み立てている大工のやりとりを考えてみよう。親方Aが「ダイイシ!」と叫ぶと、助手Bが台石を持っていく。このとき、Aは別に、「Bよ、私に台石を持ってきてくれ」と言っているわけではない。にもかかわらず、Bは、Aの「ダイイシ!」を理解し、それに応じて台石を持っていく。「ダイイシ!」に対して、「はい、これは台石です」と返答できたとしても、その言葉を理解したことにはならない。言葉は、言語ゲームのうちでその使い方を理解したときに初めて理解したといえる。そのようにヴィトゲンシュタインは考えるのだ。. 事態は成立しているか、あるいは成立していないかのいずれかである 3. 思考の外側は語りえないもの(倫理など) 9. ここで『論考』の全体的な枠組みを再確認してみたい。ヴィトゲンシュタインは、世界を有意味に語ることができるためには、以下のような構造が言語と世界の間に成立していなければならないとした。 以上の構図から導かれる点を踏まえると、『論考』の要点はおおよそ次のようにまとめることができる。 1. 私たちは、台石を指さして、「これが台石である」と言うとき、それが台石であることを理解する。そのように対象を直接に示して定義することを、ヴィトゲンシュタインは直示的定義と呼ぶ。一見ここには何の不思議もないように見えるが、少し考えてみると、事態は決してそう単純ではないことが分かる。 直示的定義は前提がなければ成立しない。なぜなら直示的定義は、色々な仕方で解釈されうるからだ。ヴィトゲンシュタインは言う。「ものの名を問うことができるためには、ひとはすでに何かを知っている(あるいは、することができる)のでなくてはならない」、と。「これを二という」という言葉が通じるには、私たちは、この「これ」が何であるかを、すでに分かっていなければならない。あるひとが突然上を指差して「これを二という」と言っても、それだけでは、彼が何を意味しているのか分からないだろう。. 世界とは、事実の総体であって、物事の総体ではない → 文章とは単語の塊ではなく、記述されたものである 2.

建築関連として、 アールヴィヴァン叢書の書籍版。ほぼ同じ内容。アールヴィヴァンの冊子は、アマゾンの中古で出ることもあるけども、書籍版より高い。今は、1冊出品されていて、4000円! 分析哲学、言語哲学を筆頭に哲学・思想界に大きな影響を残した天才哲学者である。哲学界を代表するイケメンである。 主な著書は『論理哲学論考』『哲学探究』。その思想は前期と後期で分けられて考えられることが多い。. 90年代後半には閉店していたと思うが、西部美術館の横に「アール・ヴィヴァン」というアート系書店があり、アール・ヴィヴァン叢書というB4版の冊子を出していた。各冊子は決まったアーティストやムーブメントを特集し、16号は『ウィトゲンシュタインの建築』だった。 アール ヴィヴァン16号 特集:ウィトゲンシュタインの建築 「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの命題はあまりにも有名である。この言葉が含まれる『論理哲学論考』の草稿は、第一次世界大戦に従軍しながら書かれたと言われている。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - Wikipedia この冊子は、ウィトゲンシュタインが設計した実姉の家(ストロンボウ邸)について書かれた内容である。著者はバーナード・レイトナー。日本語訳は建築家の磯崎新氏。表紙に書かれている説明の引用。 本文からの引用。 ウィトゲンシュタインは、言語や論理を純化し、その限界を突き詰めたように、建築でもその構成の限界を突き詰めた。言葉と建築(世界)の関係を知覚と認識のギリギリまで追求している。だから、ウィトゲンシュタインの哲学を理解しようと思えば、言語と対となる建築を併せて考えることが理解の助けになるのではないかと思う。 次のページによれば、現在は、ブルガリア研究所として使われているそうである。内部の写真も何枚か見れる。 <a jp/overseas/area/europe/austria/wien/kankospot/10402694/tips/10454549/contents_inner" jp/overseas/area/europe/austria/wien/kankospot/10402694/tips/10454549/contents_inner">ブルガリア文化研究所 ヴィトゲンシュタインハウス-フォートラベル</a> ブルガリア文化研究所 ヴィトゲンシュタインハウス-フォートラ. 『哲学探究』、特にその第1部400節ころまで。 後期後半(年) 『哲学探究』第1部の残余の執筆を経て、さらなる変化に到るとも想像されている第2部への時代。 晩期(年) 死の直前の『確実性の問題』。 とその思考は細かく推移している。.

命題は要素命題の真理関数である。(要素は、自分自身の真理関数である。) 6. 言語ゲームは生活様式のひとつであり、その境界線は、生活のうちでの経験と目的に相関する形で初めて引くことができる。この観点から見ると、言語ゲームの規則もまた、あらかじめ規定されているわけではなく、ただ経験に応じて定まってくるだけだということになる。 慣習といっても、これは相対主義的に「しょせん一切は慣習にすぎない」ということではない。ここで言われているのは、生活様式が変様すると、言語ゲームも変わらざるをえず、規則もまた同様であるということだ。ルールに絶対の根拠はなく、だからといって相対的であるわけでもない。. 哲学探究』(てつがくたんきゅう、独: Philosophische Untersuchungen)は哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって執筆され、死後の1953年にアンスコムとリースによってまとめられた遺稿が出版された著作である。. 論理哲学論考で、「全ての問題は解決した」と 言い切ったウィトゲンシュタインは、 それ以降哲学からは身を引き、 オーストリアで 小学校の先生に転職します。 ウィトゲンシュタインが小学校の先生.

Philosophische Untersuchungen. ともあれ、ヴィトゲンシュタインによると、世界が正しく記述できるためには、世界の単位が確定できなければならず、また、世界の単位と記述の単位が同型でなければならない。そうした同型性を、ヴィトゲンシュタインは「論理形式」と呼ぶ。 論理形式は、対象同士が結びつく“幅”によって規定されている。たとえば、「花」は「美しい」とは結びつくことができるが、「円周率」とは結びつくことができない。対象にはそれ固有の形式があり、形式を共有するかぎりにおいて、相互に結合することができる。この結合関係を言語によって写し取ることで成立するものを、ヴィトゲンシュタインは「像」と呼ぶ。 これを逆に言うと、対象と「像」の共通性が、事態の写し取り(=写像)を可能にしていることになる。その共通性それ自体を写し取ることはできない。「像は写像形式を写像することはできず、ただそれを示すだけである」。 ここで重要なのは、像の要素である命題は、事態を描写するときに限り、真偽の判断を行うことができるということだ。 命題は「名辞」からなり、事態の成立あるいは不成立を描写する。事態の成立と不成立は、命題の成立と不成立と一致し、そうした一致の可能性をもつ命題のみが意義をもつとされる。言いかえると、成立しない事態についての命題は意義をもたない。先ほどの例を使うと、「花は円周率である」という命題は、成立しない事態なので、意義をもたない、というわけだ。 さて、ここまでの議論を振り返ってみよう。初めにヴィトゲンシュタインは、世界を単位まで分解する。世界は「事実」からなる。事実は成立した「事態」からなり、事態は「対象」の連関として成立する。ヴィトゲンシュタインは、事態と対象を世界の単位として規定したのち、言語に着目し、対象と論理形式を共有する「名辞」と「要素命題」を言語の単位として規定するのだ。. ウィトゲンシュタインの哲学は、『論理哲学論考』に代表される前期哲学と、『哲学探究』を中心とする後期哲学とに分かれている。 両者は、ある意味で正反対の立場に立つものだが、一貫して「言葉とは何か」「意味とは何か」という問いに貫かれている。. 難解な記述が多いが、単語を置き換えるとわかりやすくなる。 1. 言語の限界の外側は、思考の外側である 8. ライフスタイル系のミニマリストとデザイン系のミニマリストの出所が同じかどうか気になってきた。ザ・ミニマリスツのWikipediaには、「偶然、ミニマリズムとして知られるライフスタイルを知った」と書かれている。一応、同じ系譜であることは確認できる。 ライフスタイル系ミニマリストが、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』に良く言及しているのが、気になるところである。超絶主義者のソローがウォールデンで暮らしたのは、ネイチャーライフであって、ミニマリストとは違う。定職を持たず職を転々としたソローは、今生きていても最先端の生き方という感じで興味深い。偉大なグランド・マスターといった感じだ。確かに、ソローの思想は、今のミニマリストが共感するような考え方が多い。脱線した。 そもそも、1960年代のミニマリズムという言葉は、どこから来たのか。百科事典マイペディアにはミニマル・アートの言葉の由来が書いてある。 リチャード・ウォルハイム氏のエッセー*2が、ミニマルの発生点ということだ。リチャード・ウォルハイム氏は分析美学や分析哲学を研究し、分析哲学に大きな影響を及ぼしたウィトゲンシュタインを参照している。ウィトゲンシュタインのフォロワーと言える。ウィトゲンシュタインに対して、ミニマルの形容は、まったくの的ハズレという訳でもなさそうだ。「芸術は人生の一形式だ」(リチャード・ウォルハイム) *3 ウィトゲンシュタインを形容するためのミニマリストは、今のライフスタイル系ミニマリストではなく、1960年代から続くミニマリズムの実践者の意味で使うこととする。今だけ、ライフスタイル系ミニマリストから、この言葉を奪還する。.

名辞が指示する対象は、絶対的な単位ではなく、「範型」である。範型は言語ゲームの道具であり、言語ゲームは生活様式の一部である。生活様式は厳密な一致がありえず、ただ類似性をもつだけである。それゆえ、言語ゲームもまた、類似性をもつにすぎない。 もし対象を絶対的な単位として規定することができれば、どこまでが「語りうるもの」であり、どこからが語りえないものであるかを、厳密に規定することができる。だが、ヴィトゲンシュタインいわく、範型は、状況と経験に応じて規定される言語ゲームの道具なので、厳密な同一性を保証することはできない。それゆえ、ゆるやかな仕方でしか言語ゲームの境界は定めることができない。 ヴィトゲンシュタインは、「われわれが境界を知らないのは、境界線など引かれていないからだ」と言う。これはつまり、境界線は経験に先立ってあらかじめ引かれているわけではなく、言語ゲームの状況とその目的に相関する形でしか引くことしかできないということだ。「正確である」ということも、この文脈にてようやく意味をもちうる。 たとえば学校の授業という言語ゲームにおいては、太陽までの距離が1メートルずれていたところで、不正確とは言えないだろう。だが宇宙船の打ち上げミッションという言語ゲームにおいては、致命的な問題となるはずだ。 何が言語において正確であるかどうかは、それ自体で規定されるわけではなく、範型を設定する目的に応じて定まってくるしかない。そうヴィトゲンシュタインは考えるのだ。. ただし、対象が経験されうる範囲は「私」の世界のうちに限られているので、実質的には限界がある 7. 要素命題に「論理操作」(否定、かつ、または. 思想は、意義を持つ命題である。 5. 事実とは、幾つかの事態が成り立っていることである → 動詞とは、主語と述語を動的な関係で説明している 第1・2命題は言葉・動作に関して。第3・4・5・6命題は思考に関するものである。 3. 23 lismile 「ウィトゲンシュタイン」とは?思想・名言や『哲学探究』も解説. )を行い、要素命題同士を組み合わせることで「複合命題」が構成される 5.

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの解説。1889~1951オーストリア生まれの哲学者。英国ケンブリッジ大学教授。現代英米哲学の形成に指導的役割を果たした一人で、論理実証主義およびオックスフォード学派に影響を与えた。著「論理哲学論考」「哲学探究」など。 - goo人名事典は15万件. 『哲学探究』(てつがくたんきゅう、独: Philosophische Untersuchungen)は哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって執筆され、死後の1953年にアンスコムとリースによってまとめられた遺稿が出版された著作である。. 前期の『論理哲学論考』と後期の『哲学探究』 “20世紀の言語論的転回”を成し遂げたとされるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの思想・哲学は大きく、前期の『論理哲学論考(1922年)』と死後にまとめられた後期の『哲学探究(1953年)』とに分けることができる。. ウィトゲンシュタイン Ludwig Josef Johann Wittgensteinウィトゲンシュタインはドイツの哲学者。分析哲学者。主著『論理哲学論考』、『哲学探究』。人間は言語によって真理を述べ、これが事実として成立するのは論理の真偽. 生活形式(せいかつけいしき、英:Form of life、独:Lebensform)はルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン及び、その他大陸哲学・科学哲学の系譜に属する哲学者が用いる専門用語。. 世界とはその場に起こることのすべてである → 文章の限界が、我々が理解できる限界である (なぜなら論理学でいう「世界」とは、記述できる範囲内を示し、物理的な世界のことではないため、こう書き換えることができる) 1. 20世紀を代表するウィーン出身の哲学者、 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン。 言語批判の立場から哲学や言語を徹底的に考察し、分析哲学の第一人者となりました。 ウィトゲンシュタインとは一体どのよう人物だったのでしょうか。 その天才的な思想はなかなかに難解なものですが、今回.

『哲学探究』(てつがくたんきゅう、Philosophische Untersuchungen)は哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって執筆され、死後の1953年にアンスコムとリースによってまとめられた遺稿が出版された著作である。. 『哲学探究』は、ウィトゲンシュタインの後期の主著として、哲学史上に燦然と輝く名著です。 すでに、邦訳も出ていますが、古すぎたり、哲学としての解釈に不足があったりして、歴史的な名著の割には、名訳に恵まれませんでした。. 語りえないものについては、沈黙しなければならない 『論考』の議論は、命題と事実の間に同型性が存在するという直観によって支えられている。その同型性が論理形式と呼ばれているものだ。命題と事実が論理形式を共有しているので、言語は世界を写し取る(写像する)ことができる。これが『論考』の基本の考え方だ。 対象は経験に先立ち、単純なものとしてあらかじめ存在している。この『論考』の前提を、ヴィトゲンシュタインは根本から考え直し、いまや次のように考える。要素は観点に相関して存在する。絶対的に単純な要素があるわけではない。要素は「範型」(パラダイム)であり、叙述のための道具なのだ、と。. 最後にヴィトゲンシュタインは「倫理」について論じる。 ヴィトゲンシュタインによると、世界は事実の総体だ。事実は成立している事態からなり、事態は要素命題によって言い表される。要素命題は名辞からなり、名辞は対象に対応している。対象は私によって経験されるものであり、対象の経験が私の世界を限界づけている。そうヴィトゲンシュタインは論じていた。 ではここで、倫理はどのように位置づけらればよいのだろうか。倫理は「このようにある」ではなく「このようにあるべき」という法則に基づく。したがって倫理学の命題は直接に検証できない。実際に成立している事態だけが直接に検証しうるものであるからだ。 直接に検証できない事態について語ることはできない。したがって「生の問題」については何も言うことができない(=語ったところで、それはナンセンスとなるしかない)。それはただ示されるだけである。それゆえ、次のようになる。 注意すべきだが、ヴィトゲンシュタインはここで、世界に「生の問題」など存在しないと言っているわけではない。そうではなく、たとえこの世界においてではないとしても、それらは確かに存在していなければならないというのだ。世界の意味について語りえないからといって、それを否定するのでも軽視するのでもない。それらを示されるがままに、ひとつの「神秘」として受け入れるほかない、と考えるのだ。.

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哲学探究 - ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

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